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元検事の事件回顧録(その2)
海難事故を装った保険金詐欺事件

第1回  事件の端緒と初動捜査

 一人の酔っぱらい船員の「船は,なかなか沈むものじゃないなぁ。」との戯言(たわごと)を端緒として,海上保安官を指揮して,約6年前の海難事故が,本当は保険金を得る目的の艦船覆没事件であったことを解明し,船主,船長ら4名を逮捕し起訴した艦船覆没・保険金詐欺事件がありました。
 この事件は,検察庁と海上保安部との共同捜査でしたが,検察庁だけが独自に捜査を進める,いわゆる独自捜査に近いものでした。
 昭和○○年5月末に,第○海上保安部I海上保安署警備救難課へ密告の電話がありました。その内容は「数年前に○県H崎沖で第28Q丸という貨物船を船主と機関長が沈めて保険金を取った事件があるのを知っているか。機関長Kが相談してきたので機関長だけはぶち込まんといてくれ。」というものでした。
 同海上保安署で調べたところ,約6年前の9月14日,S海上保安部の管内で第28Q丸が機関室の異常浸水により沈没した事故があったことが判明しました。この海難事故は,機関長Kの業務上過失往来妨害罪として捜査が行われましたが,嫌疑不十分で不起訴処分されていたことから,この情報は確度が高いものと判断されました。
 また,この事故については,D火災保険から船舶の所有者であるU商事株式会社に対して7000万円の船舶保険金が支払われたということが判明したため,艦船覆没・保険金詐欺についての嫌疑が浮かび上がり,I海上保安署(以下「海上保安」といいます。)が内偵捜査を開始しました。
 そこで海上保安が,たまたまI市に居住していた海難事故関係者の一人であった機関長Kから事情聴取したところ,同人は,昼間から飲酒して酔っぱらっているアル中で,知り合いのMに空想の話をした旨供述しました。そこで,名前が判明した情報提供者のMを調べたところ,「機関長のKが金を無心して色々なところへ電話をかけていた。Kに何かと聞いたところ,Kは『船はなかなか沈むものじゃないなあ。実はG船長と船を沈めた。』と聞いた。それで,私は,これをネタにG船長を脅し500万円位の金にしようと思った。しかし,Gに電話しても,船主のU商事に電話しても,全く相手にされず一笑に付されたので,腹が立ち,たれ込みの電話をした。」と,密告電話の経過を説明しました。恐喝に失敗し,腹が立ったので,船を沈没させた事件として密告をしたというのです。
 そこで,海上保安が再び機関長Kを在宅で取り調べたところ,数日後にKは,犯行を自供し始めました。その自供内容は,実弟である船員の一等航海士Rから,250万円出すから船の沈没させるのを手伝ってくれと頼まれ,船主であるU商事株式会社の社長Tや船長Gと相談して,H崎沖で沈めようとしたが,思ったように沈没せず,「水船」になり最後は座礁し,その直後に来た台風で船は完全に海底に沈没した。沈める方法は,Kが1人で,ビルジ排出口の船底弁を開放する等の方法により機関室に海水を逆流させ,更に船尾管のグランドパッキング押さえの金具を取り外して海水を流入させたというものでした。なお,「水船」については,また後で説明します。
 そして,船主であるU商事からの報酬250万円のうち,何回かは銀行口座へ振込送金して貰っていたが,そのうち送金が途絶えた。そこで同社のT社長に電話で送金を要求するようになった旨で,その自白内容は,詳細且つ具体的で信用できるものであり,T社長,G船長,実弟Rが,Kと共謀の上艦船を覆没し保険金詐欺を実行した嫌疑が濃厚になりました。
 この時点で,海上保安から検察庁に対して,関係箇所を捜索して被疑者に対する逮捕状を請求し,強制捜査をしたい旨の協議がありました。
 しかし,Kの自供があるだけで客観的証拠がないのに船を沈めたと認定が出来る訳がなく,共犯者の3人から事情も聞かずに逮捕することは無謀であり,被疑者から弁解を聞き,もし否認しても,その弁解が覆せるだけの証拠収集の捜査が必要であることを説明しました。
 また,保険金詐欺については,海上保安に管轄がないことから当庁で立件する必要があり,この段階では,まず,捜索・差押えを先行するについては了解をしたものの,そこまでに留め,捜索・差押えの結果と,被疑者の弁解を聞いてから後の捜査方法を検討しようということで説得しましたところ,海上保安も了解しました。
 警察を含む第一次捜査機関は,概して,被疑者の自白さえあればその自白通りの事実が認定できるとの前提で,犯罪事実を検討し,積極的に捜査を進めたいとの願望を持っているものです。他方,検察官は,起訴した場合に,法廷でそのような犯罪事実が客観的証拠によりに立証できるのかどうかということが最大の関心事でなければならず,共犯者の一人の自白があるからと言って,それだけで第一次捜査機関の話に乗ってはいけないのです。他の共犯者は,まず否認しますから,否認に耐えるだけの客観的証拠と信用性のある供述を収集し,嫌疑が十分であると認められる確実な証拠がある場合に,初めて強制捜査に着手するべきものであり,自白があるだけで逮捕状を請求するというのは,捜査の行き過ぎとか見込捜査だとの非難を受ける恐れがあるのです。
 海上保安に対しては,Kの供述するような方法で,船が沈むのかどうかについて海上大学に鑑定の依頼をするように指示し,また,報酬金に関する銀行捜査,沈没した船の残骸があるかどうか,上記海難事故として処理された刑事事件記録を取り寄せ等の捜査指揮をしました。

続く

第2回 在宅捜査の経過

 海上保安は,船主U商事事務所,同社T社長方自宅,G船長方自宅,R方自宅の捜索・差押えを行い,その押収証拠に基づきT社長,G船長,Rらを取り調べ,その後,結果報告がありました。
 海上保安が在宅で捜査を始めましたが,社長らの供述内容は,案の定,3人とも,故意に船を沈没させたようなことはなく,航行中に船底が海底に抵触し,亀裂が生じて浸水した海難事故であると弁解して犯行を否認しました。U商事からGらに対して支払いをしたことは,銀行振込であるから明確であり,Gは37回合計415万円,Kは25回合計125万円,Rは5回合計380万円でした。その点についてT社長及びG船長,Rに聞いたところ,いずれも,金銭の授受は認めるものの,その支払い理由は,支払い給料,退職金の分割払い,海難審判庁への出頭手当,貸借金という負債科目の弁済をしたとのことでした。
 しかし,U商事の帳簿を見ると,これらの資金は,損金科目である,雑費の支出として処理していることが分かり,T社長らのお金の支出に関する供述は,帳簿処理と明らかに矛盾しており,T社長ら共犯者間で通謀がなされていることが十分伺えたため,Kの供述の信憑性が高くなりました。
 他方,海上保安大学における第28Q丸の沈没方法についての鑑定は,Kの供述する浸水方法により沈没はし得るが,完全に沈まず,「水船」になる可能性が高い,との結果でした。
 また,S海上保安部が潜水夫を使って第28Q丸の沈没現場の海底の探査をしたところ,これといった残骸物はなく,船は,6年も経過していたことから分解して海底の砂に埋没していったものと思われるとのことでした。海難事故として処理された刑事事件記録からは,被害会社撮影にかかる,岩に座礁し,波に打たれて沈没直前の第28Q丸の写真や実況見分調書など事件の背景を示す資料を入手することができました。
 海上保安は,この時点でもまた,関係者を逮捕して,強制捜査をしたいと申し出てきました。しかし,海上保安は,海上事件についてしか管轄はなく,保険金詐欺罪についての捜査権限はありません。艦船覆没罪の処分の後に保険金詐欺罪だけで再度逮捕勾留するということは,法律上不可能ではないものの,艦船覆没と保険金詐欺は事件として一体性がある一方で,保険金詐欺の資料は不十分であり,捜査方法としては,双方の事件の捜査を一挙に進めるべきものと思料しました。
 そこで,海上保安には,詐欺罪と一緒に捜査を進めるべきであり,本件は約6年も前の事件で,銀行捜査や保険契約関係の取引状況等裏付捜査に時間を要するものであり,保険金詐欺についての証拠が十分収集できるまで,強制捜査には着手すべきでない旨説得し,強制捜査の実施時期を延期するよう要請しました。海上保安も検察庁の考えに理解を示し,強制捜査を先に延ばすことを了解しました。
 このような古い事件についての捜査は,予想に反した状況がよく発生するものであり,被疑者を逮捕,勾留するまでに,可能な捜査は,あらかじめすべてやっておくことが,捜査を成功させる秘訣です。慌てて身柄を確保すると,後にいろいろな問題が生じて捜査が混乱し,捜査に使う時間が不足し,勾留期間内に捜査を完璧に遂げることができないという場合が多くあります。予想に反した弁解や予想していない出来事が発生したりして,裏付捜査に相当期間がかかり,10日ないし20日の勾留期間という短時間で捜査を遂げられない可能性があるのです。
 検察庁のその後の捜査は,まず,事故当時第28Q丸に乗船していたその他の船員2名について,それぞれの住居地のO地検とP地検に捜査嘱託をして,事件発生当時の様子を聞いてもらいました。この2人は,何が原因であったか分からないが急に浸水が始まり,あわてて船外に逃げたというものであり,沈没場所付近は砂地で船底に亀裂が生じるようなことがある筈がなく,また,浸水し始めてから船長らは,積極的に排水作業をしようとしていなかったことから,事故の原因に不審を持っていたということでした。この2人は,犯人グループには入っていないと思われる内容の供述であったので,O地検とP地検の検事にそれぞれ検察官調書を作成して貰いました。
 第28Q丸を製造した船会社の工場長からの事情聴取では,第28Q丸は,事故の約1ヶ月前に定期検査を済ませたところであり,通常の運行で機関室に浸水することはあり得ず,砂地で船底の鉄板に亀裂が生じることは有り得ないとのことでした。
 また,保険金詐欺の被害者となる保険会社から,当時の保険金支払関係書類の提出を求め,詐欺の,欺罔行為,被害状況について捜査しました。また,保険金7000万円の内約5000万円については,U商事の債権者が保険金について債権質を設定していたことから,U商事に対する債務の弁済に充てられていたことなどが判明し,U商事が経済的に困窮していたことも判明しました。約6年前の銀行取引に関することですから,その裏付資料を入手するのに相当時間を要しました。
 T社長ら被疑者の沈没原因や受領金に関する供述は,全く不合理であり,Kの供述が信用でき,これを支える客観的証拠も収集でき,本件がT社長,G船長,実弟RとKの共謀による艦船覆没,保険金詐欺であるとの嫌疑が高まり,あとは,真相を解明するため,T社長ら被疑者から十分事情を聞く捜査を進めるだけの段階になったことから,9月上旬に,強制捜査に着手することにしました。

続く

第3回 強制捜査の経過と内容

 そこで,被疑者であるT社長,G船長,K,Rの4名の4名を令状により通常逮捕をしましたが,そのうち,Kを除く3名が容疑を否認しました。そこで,真相を解明するためには,それぞれの被疑者につき,マンツーマンで別々に調べをして自白を得る必要があり,被疑者は,4カ所の警察に分散留置することにして,検事2名,副検事2名が,それぞれ被疑者4名の調べに専従することにしました。私は主任でしたから,一番重要なT社長の取調べを担当しました。
 逮捕等の強制捜査を実施する前に,被疑者達は,バラバラの場所におり,T社長はI市,G船長は大阪,Kは奈良に居住し,Rは機関士として船泊に乗船中であったことから,1週間後のある日に出頭をするように伝えるとの,任意出頭を求める方法を取りました。通常の事件は,ある日突然,捜査官が被疑者の住居地へ赴き,任意同行を求めて,捜査官と共に自宅から検察庁へ来て貰い,捜査前の被疑者間の事前の通謀を防ぐ捜査方法を取るのです。任意出頭を求めるということは,逮捕される前に共犯者間であらかじめ打ち合わせをすることが出来る機会を作ることになり,好ましくはないのです。しかし,本件では,被疑者の所在地がバラバラで,それも遠く離れていた関係で,I海上保安部で一挙に出頭を確保するための任意同行は困難であったため,やむを得ず任意出頭を求める方法を取ったのです。
 後に判明しましたが,案の定,出頭の前日にT社長,G船長,Rの3名が集まって,皆否認するとの「男の堅い約束」をしたようでした。
 海上保安が,艦船覆没罪について逮捕状を取り,この罪名で4名を逮捕したところ,Kは,従前通り,自白しましたが,後3名は,予想通り否認でした。しかし,Rは,勾留請求直前に自白し,G船長からの依頼であり,兄のKには,250万円やるから船を沈めることについて協力を求めた旨,沈没させる方法は,自分が船尾管のグランドパッキングの金具を取り外して海水を流入させ船を沈没させたというもので,供述がほぼ一致するものの,役割などについて,Kの供述と食い違ったので,Kについて再度詳しく聞いたところ,やはり,Kが弟のRをかばった供述をしていたことが判明しました。Rは,Kと一緒に主機関冷却水吐出管船外弁の蓋を外す等して機関室に海水を逆流させたが,二人で船尾管のグランドパッキング押さえの金具を取り外して海水を流入させたのに,Kが一人でやったと供述していたのです。
 T社長とG船長とは,頑強に否認し,海上保安官と検察官が交互に調べを行い,情報を交換して鋭意,説得して取調べを進めました。勾留8日目になって,G船長が,検察官に対して自白をし始め,「否認していたのは,逮捕前日にT社長と打ち合わせをして,男の堅い約束をしたからだ。」と供述しました。「T社長から依頼され,第28Q丸を沈没させれば500万円やると言われて引き受けた。それで,Rを誘ったところ了解してくれ,Rが兄のKを仲間に誘った。船底が海底に抵触し,亀裂が生じて浸水した海難事故であるとの話は,出頭する前に,T社長と相談して決めた弁解でした。」との供述を得て,この事件のほぼ全貌が明らかになりました。
 T社長は,主任の私が取調べを担当していましたが,最後まで否認をし続けました。勾留満期最終日まで,真実の自白を得るためにM刑務所へ通い,毎日,数時間の取調べをしました。T社長とG船長については,警察の留置場より刑務所の取調室の方が調べ易いということで,勾留延長後,身柄を刑務所に移しました。海上保安官は取調べに粘りがなく,否認されたら一歩も進まず,1日1時間くらいしか取調べをせずに警察から帰っていました。このこともあって,検察庁に近い刑務所に身柄拘束場所を変え,ほとんど検事のみが被疑者調べをするようになった状態でした。
 T社長の供述内容は,共謀の重要な点については,「覚えていない。」「忘れた。」を繰り返すだけで,これと言った強烈な弁解はなく,単純な否認だけで,一方,他の共犯者間の供述がほとんど一致し,その供述に信用性があり,共謀により4名を起訴するに十分な証拠が集まったと判断しました。
 そこで,勾留満期日に,T社長については否認のまま,4名について保険金詐欺罪を検察庁の事件として立件手続をとり,4名とも,艦船覆没罪,詐欺罪で勾留中公判請求しました。

続く

第4回 起訴後の被告人の取調べ

 起訴の前日,最後の取調べの時に,私は,T社長に,「明日,貴方を起訴します。認めていなくても証拠は十分ですから,起訴します。ただ,起訴後は,原則として貴方に対する取調べはできませんが,貴方の方から調べて欲しいとの要望があれば,私は取調べをすることができます。その気になれば連絡して下さい。」と言っておきました。
 否認事件で自白を得られなかった場合の対応策として,起訴後も取調べをすることができることについての示唆は何度か試みたことがありました。やはり,被疑者・被告人の自白,反省があって初めて被告人に対して適正な刑罰を科すことができ,事件の収まりがつき,治安の維持を図ることができるというものなのです。
 刑事訴訟法的に見ても,起訴後,第1回公判前の取調べは,被告人が希望し,又は,任意に取調べに応ずる場合は違法ではないというのが,判例の立場です(最決昭和36年11月21日,大阪高判昭和43年7月25日,吹田事件控訴審判決)。その際,無理矢理ではなく,本人の依頼により取り調べるということが,適法性を基礎づけるものと考え,あくまで起訴後でも適法な捜査として,自白を求め,真相を解明するべきなのです。
 起訴後5日目に,T社長から私に面会を求める旨の電報が届きました。その瞬間,私は,T社長は,自白すると思いました。それで,M刑務所に面会に行ったところ,刑務所では保安課長室を使わせてくれ,T社長は,その部屋の板の間に土下座をして「申し訳ありませんでした。」と言って謝りまくり,全面的に自白を始めました。起訴になるまで否認をしていたのは,余りの大罪を犯し,何とか助かりたいという気持ちと,逮捕される直前にG船長との間で,事実は二人とも絶対に認めないという「男の堅い約束」をしていたので言えなかったが,起訴された以上は相手も認めているのだろうし,仕方がないので認める気持ちになった,そこで検事さんの取調べを受けたいことから面会を求めたのです,とのことでした。
 T社長は積極的に自白したものの,事件の経緯が長く,共謀も多数回ありましたので,完璧な自白調書は取れませんでしたが,数時間で,ほぼ概要,共謀を認める内容の自白調書を取ることができました。これでやっと落ち着きの良い事件になりました。やはり,犯行を認め,反省をしたうえで,被告人は,刑を受けるべきなのです。
 私は,自白を得るため取調べを継続し,努力をし続けた甲斐があったと思いました。徹底的に調べ,自白させるように努力するということは,相手にも伝わるということではないかと思います。否認でも,最後まで諦めたらいけないということだと思います。T社長は,起訴した後になって,否認が通らなかったので,嘘をついて悪かった,検事に処分を任せる,調べて欲しいという気持ちになり,電報を打ってきたのです。T社長が,その気持ちになったのは,連日取調べを行い,説得を繰り返しているうちに,こちらの気持ちが通じたのだと思います。
 そして,やはり,逮捕前に,被疑者に「男の堅い約束」をさせるような機会は与えない方が,捜査はスムースに進むということもよく分かりました。

続く

第5回 事件の感想と反省

 この事件では,勾留中にG船長が自白したことにより事件の全貌が分かったのですが,興味深かったのは,船は簡単に沈むものではないということでした。浸水させて,沈没すると思っていたのに,船は沈まないのです。「水船」になるだけなのです。Kが酔っぱらって「船はなかなか沈むものじゃないなあ。」と言ったとおりなのです。機関室に浸水させ,被疑者らは沈没する船から逃れて,船を見続けていたのですが,船は,ぷかぷか浮いたままで,沈まないのです。「水船」になるだけなのです。
 「水船」というのは,船が,水面に浮かぶがそれ以上は沈まないという状態です。なぜ沈まないかというと,船の中には,いろいろな大小の密閉したカーゴ(部屋)があり,このカーゴの空間が浮力となって沈まないように作られているのです。被疑者らは,船舶の運行のプロであったのに,そのようなことを知らなかったとのことでした。それを知らなかったので,沈めようとしても沈まなかったのです。歴史上の事件として,また映画にもなりました,大西洋上で氷山と衝突して大破したタイタニック号は沈みましたが,あれは,ボキッと折れたことにより船の体をなさなくなったから沈んだものと思います。戦艦大和も,船の体をなさない程の破壊のされ方であったのではないかと思います。
 第28Q丸は,「水船」となって,2日間ほどぷかぷか浮いて漂流し,遂に岩礁に乗り上げました。そこで,保険会社から派遣されたダイバーが船を調査することになりました。ダイバーが潜って機関室の中を見て,浸水の原因を調べたら,鉄板に亀裂が入ったのではなく,浸水の原因が,船舶の生命線である程重要な船尾管のグランドパッキングを外して浸水させたという人為的な方法であったことが,すぐに明白になる訳です。被疑者らは,もうバレる,駄目だ,故意に沈没させたことが発覚してしまうことを覚悟したとのことでした。もちろん,その時の海難事故届には,船底の鉄板に亀裂が入って浸水と虚偽報告していたのですから,被疑者らは,虚偽報告がバレてしまい,万事休すと観念したということなのです。
 ところが,被疑者らの運が良いというか,船が岩礁に乗り上げたことで船底が破壊してしまい,また,ダイバーが潜る前の日に,「神のいたずら」というか,丁度,この付近を台風が通過し,暴風雨で海が大荒れになり,潜水調査が中止となったのです。さらに,海の大荒れした日が続いたことから,この船は本当に損壊し,海底に沈んでしまい,ダイバーが潜って浸水原因を探ることも中止になりました。こんなことってあるのですね。まるで「元寇」ですよ。
 それから6年後に,船の跡形も残骸もなくなってしまい,詐欺罪の時効(7年)完成の直前となった時期に,機関長Kの「酔っぱらいの戯言」が出てしまって,これが端緒となって海上保安と検察の捜査が始まり,ある一人の検察官がしつこく捜査を行ったことで,事件の真相が解明し,犯人らは,一巻の終わりとなったのです。
 この事件は,強制捜査を実施した日の昼のNHKニュースの全国版のトップニュースとなり「海難事故を装った多額の保険金詐欺罪で社長ら逮捕」という字幕と共に,被害生命保険会社が撮影していた,岩礁に乗り上げ,波に打たれ沈没寸前の第28Q丸の衝撃的な写真が,鮮やかに報道されました。
 この事件の判決言渡し日のことですが,被告人全員が,実刑を覚悟し,着替えや寝間着を入れた紙袋を持参して来ていました。判決では,全員に実刑が言い渡され,その直後,被告人全員が,直ちに上訴権を放棄し,検察も上訴権を放棄し,判決は,即日,確定しました。そして,被告人4名はすぐ刑に服したという,イサギの良い連中だったことも印象に残っています。

了