建物建築請負契約において,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権と請負報酬債権全額との間に同時履行関係を認めた最高裁判例のご紹介(最高裁判所平成9年2月14日判決)
【はじめに】
今回は,建物建築請負契約において,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権と請負報酬債権全額の支払いとの間に同時履行関係を認めた最高裁判例(最高裁判所平成9年2月14日判決)のご紹介です。
自宅の新築工事を建築業者に依頼し,工事は完成したものの瑕疵が存在するといった場合,建築主には,工事代金全額を支払いたくないという考えが生じると思われます。しかし,その時点では,瑕疵を修補するのに要する費用の金額は不確定であり,また,そもそも瑕疵があるかどうかという点についても不確定という場合もあるでしょう。法律の専門家でも建築の専門家でもない建築主としては,報酬の全額について同時履行(双務契約において,相手方が債務の履行を提供するまでは自分の債務の履行を拒めるという関係)を主張し支払いを拒んで良いのか,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権との相殺を主張した方が良いのか,判断に迷うことになります。
建築主としては非常に不安になる場面に関するものですので,基本的かつ重要な判例として,ここにご紹介致します。
【事案の概要】
本件は,Yから自宅新築工事を請け負い完成させた建築業者Xが,工事に瑕疵があるとして残代金の支払いを拒まれたため,工事残代金1196万8647円と引渡日翌日以降の遅延損害金の支払いを求めて訴えを提起した事案です。
Yは,Xからの請求に対して,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権との同時履行等を主張し,これ対し,Xは,注文者が報酬の支払いを拒めるのは瑕疵修補に代わる損害賠償請求権の金額の範囲に限定されると反論して争いました。
第一審は,工事残代金1159万8847円と瑕疵修補に代わる損害賠償金82万4000円との引換給付判決で,遅延損害金の請求については棄却判決でした。
Xは控訴しましたが,Yは第一審判決の仮執行に応じて,支払いを行いました。
控訴審では,Xは工事残代金と瑕疵修補に代わる損害賠償請求権との相殺の主張を追加しましたが,Yが仮執行に応じた際にXにおいて相殺権を放棄していたなどとして,残代金として1184万4147円,瑕疵修補に代わる損害賠償金として132万1300円が認定されました。控訴審の判決としては,不利益変更禁止の原則(上訴した場合に,原判決を上訴人にとって不利益に変更してはならないという原則)が適用され,工事残代金1184万4147円と瑕疵修補に代わる損害賠償金82万4000円との引換給付が命じられ,遅延損害金の請求については棄却されました。
これに対してXが上告したのが本最高裁判例です。
【判決要旨】
上告棄却
「請負契約において,仕事の目的物に瑕疵があり,注文者が請負人に対して瑕疵の修補に代わる損害の賠償を求めたが,契約当事者のいずれからも右損害賠償債権と報酬債権とを相殺する旨の意思表示が行われなかった場合又はその意思表示の効果が生じないとされた場合には,民法634条2項により右両債権は同時履行の関係に立ち,契約当事者の一方は,相手方から債務の履行を受けるまでは,自己の債務の履行を拒むことができ,履行遅滞による責任も負わないものと解するのが相当である。しかしながら,瑕疵の程度や各契約当事者の交渉態度等に鑑み,右瑕疵の修補に代わる損害賠償債権をもって報酬残債権全額の支払を拒むことが信義則に反すると認められるときは,この限りではない。そして,同条1項但書は「瑕疵カ重要ナラサル場合ニ於テ其修補力過分ノ費用ヲ要スルトキ」は瑕疵の修補請求はできず損害賠償請求のみをなし得ると規定しているところ,右のように瑕疵の内容が契約の目的や仕事の目的物の性質等に照らして重要でなく,かつ,その修補に要する費用が修補によって生ずる利益と比較して過分であると認められる場合においても,必ずしも前記同時履行の抗弁が肯定されるとは限らず,他の事情をも併せ考慮して,瑕疵の修補に代わる損害賠償債権をもって報酬残債権全額との同時履行を主張することが信義則に反するとして否定されることもあり得るものというべきである。けだし,右のように解さなければ,注文者が同条1項に基づいて瑕疵の修補の請求を行った場合と均衡を失し,瑕疵ある目的物しか得られなかった注文者の保護に欠ける一方,瑕疵が軽微な場合においても報酬残債権全額について支払が受けられないとすると請負人に不公平な結果となるからである(なお,契約が幾つかの目的の異なる仕事を含み,瑕疵がそのうちの一部の仕事の目的物についてのみ存在する場合には,信義則上,同時履行関係は,瑕疵の存在する仕事部分に相当する報酬額についてのみ認められ,その瑕疵の内容の重要性等につき,当該仕事部分に関して,同様の検討が必要となる)。」
【解説】
1 同時履行(民法533条)について
まず,同時履行について説明します。
民法533条には「双務契約の当事者の一方は,相手方がその債務の履行を提供するまでは,自己の債務の履行を拒むことができる。ただし,相手方の債務が弁済期にないときは,この限りでない。」と規程されており,これを同時履行関係と言います。
双務契約というのは,例えば,売買がこれに該当します。売主は物を引き渡す債務を,買主は代金を支払う債務を,それぞれ負っています。物を引き渡さなければ代金は支払われないし,また,代金を支払わなければ物は引き渡されない,というのは公平の観点から常識的に理解できると思います。これが同時履行関係です。
2つの債権が同時履行関係にある場合,履行期が到来しても当然には履行遅滞(遅延損害金が発生する)にはなりません。
2 請負の同時履行(民法634条2項後段)と相殺について
(1) 次に,請負人の担保責任に関する民法634条2項について説明します。
民法634条2項には「注文者は,瑕疵の修補に代えて,又はその修補とともに,損害賠償の請求をすることができる。この場合においては,第533条の規程を準用する。」と規程されており,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権と請負報酬債権との間に民法533条に規程されている同時履行関係を認めています。
これをその文言通り読めば,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権と請負報酬債権全額との間に同時履行関係があることは当たり前ということになります。
(2) しかし,最高裁昭和51年3月4日判決は,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権と請負報酬債権との対等額での相殺を認めています。
この判例理論から出発すれば,上告人Xが主張していたように,注文者が報酬の支払いを拒めるのは瑕疵修補に代わる損害賠償請求権の金額の範囲に限定されるという考え方もあり得るということになります。
つまり,請負契約で請負人が負っている債務は,瑕疵のない仕事を完成させるという債務ですので,瑕疵の修補そのものは本来的な請求であり請負報酬債権全額との間に同時履行関係が認められるのは当然だが,瑕疵の修補に代わる損害賠償請求は本来的な請求ではないからその相殺できる金額を超える部分については同時履行関係は認められないのではないかという考え方です。
(3) ところが,本最高裁判例は,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権と請負報酬債権全額の支払いとの間に同時履行関係を認めました。
最高裁は,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権と請負報酬債権との対等額での相殺による簡便な清算方法を認めつつ,瑕疵修補に代わる損害賠償請求権と請負報酬債権全額の支払いとの間に同時履行関係を認め,経済合理性と公平性とのバランスを取っていると言えます。
仮に,注文者が報酬の支払いを拒めるのは瑕疵修補に代わる損害賠償請求権の金額の範囲に限定されるという前述した考え方に従えば,注文者が瑕疵の修補そのものを選択して請求すれば報酬全額について履行遅滞に陥らないが,注文者が瑕疵の修補に代わる損害賠償請求を選択すれば,請負報酬額と損害賠償金との差額について履行遅滞に陥って遅延損害金が発生してしまうという不合理が生じてしまいます。
したがって,最高裁の判断は妥当です。
3 最後に
以上の通りですので,自宅の新築工事を建築業者に依頼し,工事は完成したものの瑕疵が存在するといった場合に,建築主の工事代金全額を支払いたくないという考えは原則(本判例に述べられているように,信義則による制限があります。)として間違っていません。
相殺の意思表示をすれば,請負報酬の残額について,その翌日から遅滞に陥りますので,このような場合,慌てて相殺の意思表示はせずに,まずは報酬の全額との同時履行を主張するべきでしょう。
注:本稿に記載されている法律的見解は,あくまでも当職の私見です。